大分教員不正採用事件の話

はじめに / ニュース記事から

大分県教員採用汚職事件 県教育委員会、不正採用された教員の採用取り消しへ
大分で教員採用試験で不正があり、
本来合格する点数の受験者の点数を減らし口利きのあった受験者の点数を水増ししていたということが大きく世間を賑わせています
ただでさえ狭き門である教員採用試験におけるこのような不祥事は一般の受験者を大いに落胆させるような酷い話であると思うのですが、
ちょっとこの件について色々考えてみたいと思います

社会的反応

社会的な反応はいつも通り厳しい処分を求めるような意見が相次ぎました
当然と言えば当然であると言えるのでしょうが、それにしてもそのように簡単に言ってしまえるような問題なのかと思います
金銭授受に関わった人々は多く逮捕されましたが、
世論は不正採用者の解雇を求める流れになり、それが実際に行われる運びとなりました

処分について

でもこのような話は今にはじまったことではないでしょうし、
本人の認知しているところでおこなわれていたかどうかという部分でも明確でない部分は大きいと思います
誰の責任であるかというのが本人にばかり強く押し付けられるというのに理不尽な印象を受けます
また希望があれば本来合格するはずの人を採用するというような話らしいですが、
そのような人を救済するという名目でそういう事をするものの
その人達が本来職に就いて得るはずだった経験や収入は埋め合わせる事が出来ないわけであって、
このような悲劇の人の救済をアピールするかのような都合の良い対応の方がむしろ腹が立つのは自分だけなのでしょうか

そもそも県教育委員会が偉そうに処分とかいえる立場なのか

前項で都合の良過ぎる措置に対する憤りみたいなものについて触れましたが、
不正採用者の解雇についてもそう思いますね
そもそも教育委員会が行う採用試験で当たり前のように不正がおこなわれ、
長い間それが明るみに出ることなくまかり通ってきたということは教育委員会の不祥事といってもいい事でしょう
不正を受けた受験者だけを処分して厳しい処分を求める風潮に対して自身の立場を示すようなやり方をしているものの、
県教育委員会はそんな事を偉そうに出来る立場なのでしょうか

人脈

そもそも人脈があると有利になる、といったことは割と社会的に当たり前のことといえば当たり前のことであるような気がします
確かに公務員でまかり通るべきかといえばそれは好ましくないことだと思いますが、
それがその手の世界でどう考えられてきたかというのは分からないですし、
それがわりと普通のことであったのならば
それはそのような認識をつくりあげた教育界自体の責任だといえると思います
やはりそのようなことに対する取り繕いを不正採用者だけに押しつけるというやり方は違和感ばかりを感じます

不正採用者について

不正採用者がどのくらい居て、
それがどのくらいそれがバレて、
それでどのくらい教員が減るのかよく分からないのですが、
やはり不正採用者を不正採用したのは県教育委員会なわけで、
それによって一時採用された形になって「バレたから辞めて」と言われ急に辞めさせられる不正採用者はある意味被害者でもあると思います
これだけ不正が明るみに出ると「この時期に大分県の教員を辞めました」という事で大体事が分かってしまうと思いますし、
それはその人にとってただ一度職を退いたという事以上に大きなダメージを及ぼすものだと思います
結構いい歳になってしまっているような人は就職口を探すのは困難でしょうし、
採用試験を受け直すにしてもその勉強から一度離れさせられた上での受験というのはやはりうまくいきづらいと思います
そもそも本来試験を受けるときでさえ正当に合格したわけでは無いわけですし
県教育委員会の都合の良い処分において彼らが受ける社会的ダメージはあまりにも厳し過ぎるのではないかと思います

最後に

結局どうするべきかと言いたいかというと分からないのですが、
もっと県教育委員会と不正採用者が痛み分けになるような処分が好ましいと思うわけです
県教育委員会全体を責められる問題でも無いですしどこに責任があるのかと一概に言い切れる状況ではないし、
事件に全く関係無いような人も多く居るんだろうとは思いますが、
いち社会的団体として不正採用者ばかりに責任を押し付けるようなことをするのはどうなのかと強く感じました
他にもこの手の不祥事が発覚すると最近はとやかく厳罰追及への流れに持っていかれることが多いように思うのですが、
厳罰が必ずしも正しいかどうかを考えてみてほしいと思いますね
戒めを徹底する事を正義を示す道具にしないでほしいと思います
懲罰を求め正義を通しているように見せる事が自分の品位を上げていると思わないでほしいです